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甲府地方裁判所 昭和42年(わ)183号 判決 1968年9月03日

被告人 伊東功 外二名

主文

被告人望月登美男を懲役六月に処する。

三年間右刑の執行を猶予する。

被告人白籏洋は無罪。

被告人伊東功に対する本件公訴はこれを棄却する。

理由

第一、被告人望月登美男に対する理由

(罪となるべき事実)

被告人望月は、昭和四二年八月一二日被告人伊東功外久保田信夫ら数名と甲府市中央一丁目一番一三号キヤバレー「赤と黒」で飲酒したが、被告人伊東が同店支配人奥田博隆に女給千草こと藤井清子を連れ出すことを交渉してこれを拒絶されたことに一同不快の念を懐き、帰る際右久保田信夫は右奥田を兄貴分の伊東に恥をかかせたとして同店表に連れ出したところ、そこへ被告人望月が来て、右久保田から奥田は気に入らないやつだという趣旨のことを聞かされ、ここに被告人望月は右久保田と共謀のうえ同日午後一〇時三〇分ころ右奥田を同店前路地内へ連行し、同人をけつたり手拳等で顔面その他を殴打し、よつて同人に対し治療約一ケ月を要する歯槽骨骨折、および上部右側中切歯根部破折の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人望月の判示所為は刑法二〇四条、六〇条に該当するので所定刑中懲役刑を選択し、所定刑期の範囲で被告人を懲役六月に処し、同法二五条を適用し三年間右刑の執行を猶予するものとする。

(被告人伊東との共謀を認めない理由)

被告人望月に対する本件公訴事実は、同被告人は久保田信夫のほか被告人伊東功とも共謀して判示傷害罪を犯したものである、というにあるが、証人奥田博隆の前記検察官に対する供述調書の記載、第三、四回公判廷における供述との間には、被告人伊東が右被告人望月らの判示犯行に加担したとする状況に関し矛盾がありその一貫性を欠き、特に当公判廷において「被告人伊東は暴力団員で、同夜一緒に来ていた者らは同被告人の輩下であると思われたので、同被告人が路地へ来て初め被告人望月らが私を殴るのをとめたのは警察ざたにならないようにするためで、そのあと私がしやがみこんだとき、更らに殴つたりけられたりしたので、おそらく被告人伊東もこうなれば当然警察ざたになり、自分も責任を免れることができない立場になると思つただろうから同被告人も、けつたものと思つていた」旨供述していることからすれば、右奥田はかかる考えを前提とし、推測を混じえて検察官又は当公判廷において供述したものであることが推認できるし、更らに証人小沢美治の当公判廷の供述を照合すれば右の点に関する奥田の各供述は信用できない、そして右奥田の供述を除くその余の証拠によつては、被告人望月らの判示犯行の際被告人伊東が右奥田に殴る、ける等の暴行を加えたことは認められない。

しかし、被告人伊東は現在脱退してはいるが大月市の暴力団田中組の幹部で、被告人望月、並びに久保田信夫はその輩下に属していたものであり、被告人望月らの判示犯行現場へ来ていたことは前掲証拠により明らかなところで、これと判示のごとく右奥田に対し、悪感情を懐いていたことを考慮すると、特段の事情なきかぎり、被告人伊東の共謀を認める余地がないことはないが、証人岩崎喜代作、同岩崎喜代子の当公判廷における供述から認められるところの、被告人伊東が前記暴力団を脱退し更生すべく大月市より甲府市に移住し、内縁の妻岩崎喜代子の父岩崎喜代作の仕事などの手伝いをしており、本件のあつた翌日である八月一三日には右岩崎喜代作の静岡県賀茂郡賀茂村安良里部落に対する演芸の寄付興行に出演する芸能人数名を、数台の自動車で連れて行くことになつていた事実、及び前掲証拠を総合すれば、被告人伊東は被告人望月らの判示犯行の制止に努めていたものと認めるを相当とする。

してみると被告人望月は、久保田のほか被告人伊東とも共謀のうえ判示犯行に及んだものということはできないから、判示のとおり認定した。

第二、被告人白籏洋についての理由

右被告人に対する公訴事実の要旨は、「被告人白籏は同伊東功及び久保田信夫と共謀のうえ、昭和四二年八月一二日午後一一時二〇分ころ、甲府市中央一丁目キヤバレー「チヤイナタウン」五階階段附近で河西成雄に対し、その両腕をつかみ、或はビールビンや手拳で数回頭部を殴打して、同人に加療約一二日を要する左前頭部、両頬部、右肘部に各挫創の傷害を負わせたものである。」

というにある。

証人河西成雄、同宮川定二、同笠原公雄、同福田光男、同藤井寿子、同三田政美、被告人白籏洋、同伊東功の各当公判廷における供述、医師雨宮彦一作成の診断書、検察事務官作成の同医師に対する電話聴取書によれば、被告人白籏、同伊東は昭和四二年八月一二日午後一一時ころ、第一記載のキヤバレー「赤と黒」から同店へ行つた者ら一同とキヤバレー「チヤイナタウン」に赴むき、五階の便所に通ずる通路傍らのボツクスに座を占めていたところ、客の笠原公雄が六階から降りて来て、階段で同店ボーイにつきあたつたことから同ボーイに文句をつけた後、被告人らの傍を通りかかり、かねて顔見知りの被告人伊東に挨拶などしていたら、被告人伊東の連れの久保田信夫が突然右笠原に殴りかかり、被告人らは笠原の連れの者も来たがこれを制止しその場は納まつたかに見えた。けれどもなお六階にいる笠原の連れの者らの行動が気になりその様子を見ようと、被告人伊東が六階へ上りかけたところへ笠原の連れが降りて来たので、その中の顔見知りの大屋と話しながら、その後ろについて四階まで行つた。一団はそのまま帰る様子であつたから同被告人は自席へ引き返すべく五階入口を入つた広場(フロント)まで来た、ところが同所で右久保田が右笠原の連れの河西成雄とけんかをしていたので、右河西の両腕をつかんで帰るよう促しながらフロントから階段の方へ押しやり、階段に出たところへ右久保田がビールビンを持つて来ていきなり右河西の頭部をなぐりつけ、更らにそのためわれたビールビンで突いたりしているところへ、被告人白籏が自席で被告人伊東がやられていると聞き、被告人伊東に加勢しようと右フロント傍の調理場からナイフを持ち出してかけつけたが、被告人伊東からナイフを所持していることをとがめられ、同ナイフを六階の方へ向け投げ捨てた。そのうち右河西は階段から転落し、そのまま帰つたが、同人は右ビールビンで殴られたり突かれたりして公訴事実記載の如き傷害を受け、被告人白籏も右ビールビンで左掌外側に、同伊東も同様右手首に各受傷した。

被告人伊東はそこから自席に戻ろうとしたが、気がかりになるので三階まで降りて行つたところ右久保田が倒れていたものであるということが認められる。しかし証人河西の当公判廷における供述中には「被告人伊東が私の両腕をつかまえ、その際被告人白籏が二、三回殴り、被告人伊東からつかまれているのを振り切つた際階段から転落した」旨述べている部分があるも、同証人が階段附近で被告人ら及び久保田と出合つたときの状況、殴打された部位等についての供述は一貫性を欠き、前記認定事実と相違する点も多く、さらにその供述から同証人は当時相当酩酊していたため記憶が混乱していたことが推認できることからすれば、右供述は信用することはできず、これを除いたその余の証拠によつて被告人白籏、同伊東は右河西に直接暴行を加えたことはもとより、被告人らが右久保田の河西に対する暴行につき相互に意思の連絡があつたことも認めることはできない。

もつとも、被告人伊東と同白籏、及び右久保田が第一記載のごとく、かつては暴力団の幹部とその輩下の関係にあつたこと、被告人伊東が右河西の両腕をつかんで五階階段の方へ押し出し、被告人白籏は果実ナイフを持つてかけつけているという右認定事実からすると、他に特別の事情がなければ、同被告人らは右久保田と共謀して右河西に傷害を負わせた、と推認できないでもないが、被告人伊東は第一記載のごとく翌日芸能人を案内する立場にあつたこと、前認定の、その直前被告人らは右久保田と笠原のけんかを制止していること、ビンの破片でそれぞれ受傷したこと、被告人白籏は同伊東がやられていると聞き伊東に加勢しようとナイフを持出して来たが被告人伊東の注意でこれを投げ捨てていること等からすれば、被告人白籏、同伊東が当公判廷で供述するごとく、被告人らは専ら右河西と久保田のけんかの制止に努めたものというべく、なお被告人伊東が河西の腕をつかんで押し出したのは、自分らは自席に戻る予定であり、河西らは帰る際であつたことから制止のためとつた、行動の一環に過ぎないものというべきである。

してみれば結局被告人白籏に対する本件公訴事実についてはその証明なきに帰すので刑事訴訟法三三六条により同被告人につき無罪の言渡をなすべきものとする。

第三、被告人伊東功に対する理由

右被告人に対する本件公訴事実の要旨は、被告人伊東功は常習として、

(1)  望月登美男、久保田信夫と共謀のうえ昭和四二年八月一二日午後一〇時三〇分ころ、奥田博隆を甲府市中央一丁目一番一三号附近路上へ連行してその腹部を一回けりつけ、手拳で顔面、頭部を数回殴打する等の暴行を加え、よつて同人に治療約一カ月を要する歯槽骨骨折、上部右側中切歯根部破折の傷害を加え、

(2)  白籏洋、久保田信夫と共謀のうえ、同日午後一一時二〇分ころ、同市中央一丁目キヤバレー「チヤイナタウン」五階階段附近で河西成雄にその両腕をつかみ、ビールビンや手拳で数回頭部を殴打する等の暴行を加え、よつて同人に加療約一二日間を要する左前頭部挫創、両頬部挫創、右肘部挫創の傷害を負わせたものである。とし、この公訴事実は暴力行為等処罰ニ関スル法律一条ノ三前段のいわゆる常習傷害罪に該当するとされ、右公訴事実の冒頭に「被告人伊東功は昭和三三年六月一六日傷害罪により懲役六月(三年間執行猶予)、同三四年三月二六日凶器準備集合罪、銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪により懲役二年、同三九年八月五日暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪で罰金五、〇〇〇円、同四〇年五月六日同罪により懲役八月に各処せられたものである。」と記載されている。

しかして、右公訴事実にかかる犯罪の常習性は、同犯罪の主観的構成要件要素であつて、証拠により証明さるべきことがらで、被告人に暴行又は傷害罪の前科があるという事実は、その立証資料として最も重要なものというべく、しかも、かかる前科は右常習傷害罪の構成要件要素に属するものではなく、その訴因表示としては全く不要のことがらである。

したがつて、かかる前科を記載した起訴状による本件公訴提起は刑事訴訟法第二五六条六項に違反した手続で無効のものと解するを相当とするから、同法三三八条四号によりこれを棄却するものとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 降矢艮)

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